2022年GWを(比較的)無為に過ごしてわかった、休日を無駄にする4つの原因

ライフスタイル

はろーわーるど。

2022年の前半の大型連休、ゴールデンウィークもあっという間に過ぎ去って、会社という名の牢獄で、仕事という名の苦役が始まりましたね!

ちなみに、僕はというと、金曜土曜が出勤で、ラジオから聞こえてくる「GWも折り返し」とか「GWも残り2日」といった声に地味にフラストレーションを貯めていました。怒りのボルテージが上がっていく!(唐突なポケモンネタ)

え?仕事は楽しい?

そうですか。わたしとは意見が違いますね。それではさようなら。

労働の日々に再び身をやつすと、休日というものの素晴らしさを痛感します。

そして、休日にやりたいことが色々と思い浮かびます。

しかしそれよりも前に考えるべきことがあります。そう、今年のゴールデンウィークも無為に過ごしてしまったということです!

いや、まあ……マジで無為に過ごしたというわけではなくて、一応、やりたかったことは多少はできてはいるんですが……。

やりたいことが多すぎる(期待値が高すぎる)

改めて、GW前に書いたやりたいことリストを読み直してみると、これ全部を5日でこなすのは無理じゃね?って思います。

リストに載っていないけど、できればやりたい、ぐらいのことだったことも含めると、もっと無理ゲーぶりが跳ね上がっていきます。

そもそも、やろうとしていることがあまりにも多すぎる。期待値が高すぎるから、それを超えるのが無理ゲー。多少なりともやることやっててても「ああ……やりたいことの半分もできなかった……休日を無駄にしてしまった……」ってなってしまいます。

計画を立てているときはできるつもりになっちゃうんですよね。計画を立てるの下手くそか。

そういえば以前こんな記事を書きました。というか、1年前のゴールデンウィークあたりです。

時間の使い方が下手なんじゃなくて、行動の取捨選択が下手なんだよね
ゴールデンウィークが始まる前、ゴールデンウィーク中にやりたいことリストを書いたんですよね。ゴールデンウィーク中は結構色々活動的に過ごしました。いつものように、昼まで寝たりすることもなく朝早く起きて、ダラダラネットを見たりすることもなく……と...

無意識に目標地点を高く設定しすぎてしまって、かつ、失敗しないように予防線を張りすぎて、実際の行動が必要以上に複雑かつ遠回りになってしまうせいで、かえって失敗を招いてしまっている状態。それが今の自分なんじゃないかなと。

「まるで成長していない……」

毎日やらないといけないこと(=家事的なもの/雑用)が多すぎる

もちろん、家事で忙しいというのはしょうがないことだとは思います。

僕は違いますが、専業主婦の人もいますし。

一人暮らしだったとして、洗濯も掃除も食事の準備も食事もしないってわけには行かないです。当たり前の話です。

ただ、「それ本当に必要か?」って問いかけたくなるような、用事が1日の間に結構あることに改めて気付かされます。

僕は今、NASに写真とかを保存しているのですが、それを毎週整理するようにしているのですが、ただでさえランダムアクセスが遅いHDDをネットワーク越しで使っているわけなので、まー整理に時間がかかります。

よくよく考えたら、GoogleフォトなりiCloudフォトに画像を保管するようにすれば、画像の整理に使う時間を減らせるのでは?

そして、こんなことに時間を使うぐらいなら、iCloudに金を払うぐらい余裕で元取れるという結論に至りました。

改めて、「これは本当にやる意味があるのか」と生活を考え直してみると、「こっちの方が効率的じゃね?」とか「こうすればそもそもやらなくてもいいや」っていう発見が見つかるかもしれません。

投資の神様ウォーレン・バフェットもこんなようなことを言っています。

「やる意味のないことをうまくやれても何の意味もない」

やる意味もないことを減らして、やりたいことを増やす。

言葉にすると簡単ですが、実現は難しい。でも、目標は常にそこであるべきです。

そもそもクリエイティブな作業は予定通りの時間に終わらない

休日中、iPad Proを使ってブログのアイキャッチ画像を作っていました。

「それが、まー……うまく行かないw」

Affinity Photoの使い方がうまくわからず、アミバ様のごとく「ん?間違ったかな?」を連発しまくって、MacのPixelmatorなら十分ぐらいで作れそうな画像を作るのに1時間以上かかりましたw

そして、僕は学びました。

そもそもクリエイティブな作業は予定通りに終わるわけない、と。

「ブログのアイキャッチ画像作るぐらいをクリエイティブな作業てw」ってツッコミを自分で自分にしてしまいそうな話ですが、画像を作ったり、文章を書いたり、そういうのって、パターン化したものでない限り、ある種の試行錯誤的な部分がつきまとうので、「これぐらいでできるかな?」って見積もりが全然役に立たないです。

思い知りました。

本業ですら、結構時間の見積もりをミスるのに、本業でもなく、それほどうまくもない画像の編集や文章の執筆が予定の時間通りにこなせるわけがない!

それを踏まえて考えると、作業時間というか、そう言ったものの見積もりに余裕を作ることが本当に大事なんですよ、はい。はいじゃないが。

クリエイティブな作業に限らず、なんだかんだで大事なのは、これです。

すべてはここに尽きるというか。

それができないから苦労してるんだろとも思うんですが。

ただ、思うのはうまくなりたいなら、失敗するしかないんですよ。失敗して反省して、また失敗して、そのうちうまくできるようになる。結局はこれに尽きます。

要するに物事はうまくいかないという前提条件で予定を立てないといけないんです。うまくできることが前提条件になってる時点で、その予定は実現不能です

結局、仕事のリズムが生活のリズムを作っている

ゴールデンウィーク中、朝6時台に起きることができませんでした。

ただの1日も、です。

7時ぐらいは起きれる日もあったんですけど、そこから外出とか何かしらの行動に移すまでに2時間以上かかってます。

休みだからいいやってゆっくりご飯準備して、ゆっくりご飯食べて、そのままの流れでYouTubeみ始めたりして、気づいたら30分から1時間以上経ってたりします。

その後、「もうこんな時間だ!何かしなきゃ!」てなって「でももうすぐ昼だからお昼ご飯食べてから外出するか……」ってなって、もう14時だ、とかなってます。

これが平日というか、出勤がある日なら、悠長にご飯なんて食べてられないですし、朝起きてから2時間も経たずに、家を出ていますし。起きてから家を出るまでの間も、早い段階から本を読み始めたりとか、ブログ書いたりとかしています。

家に帰ってきてシャワー浴びて、ご飯食べて、そこからまた本読んだりブログ読んだりして8時間睡眠確保するために早く寝る。みたいなことが平日だとできるんですよ。

休日になると、朝起きるのがもう難しいし、朝起きてからダラダラベッドの上で時間を使っちゃいますし、ご飯を作るまでがまた長く、ご飯を食べるのも長いし、その後もダラダラしてます。

生活のリズムなんていうものが消滅しちゃうんですよね。

だから、決まった時間に起きれないし、決まった時間に寝れない。

睡眠時間の確保もできなければ、睡眠の質もあまり良くない。

なんでそうなるの?って考えると、やっぱり生活リズムの基準が仕事になっちゃってるんですよね。

仕事があるのなら、決まった時間に家を出ないといけないし、そうなると起きる時間も自動的に決まるので、寝る時間も決まります。寝る時間が決まるということは、家に帰ってきてから、寝るまでの間に確保できる時間も自動的に決まるので、その間にできることしかやらなくなります。

休日は全部が逆に作用するんですよね。

決まった時間に家を出なくていいのなら、ご飯を食べる時間も、家事をする時間も適当になるし、何なら起きる時間も適当でいいやってなります。

起きる時間が適当でいいやってことは、寝る時間も適当でいいやってことになります。

寝る時間が適当でいいなら、ダラダラYouTubeみてもいいし、ブログや日記にうまく集中できないなー、ニュースサイトでもみるかってなります。

そんなことをしているともう深夜です。生活リズムの悪化はとどまるところを知りません。

仕事は嫌いです。

正直働きたくないです。

でも、そんなやりたくない仕事が、僕の生活リズムの基礎になっているという事実を認めないわけにはいきません。

よくよく考えれば、一年365日で、休日は100日ちょっとしかないので、圧倒的に仕事をしている日の方が多いんですよね。

そう考えると、仕事が生活リズムの基礎になってしまうのは当然のことです。

僕はFIREできるならしたいです。

でも、FIREが仮に成功してしまうと、毎日こうなるってことです。正直それが最大のリスクな感じがします。

要するにFIREができるようになるまでの間に、決まった時間の仕事がなくても成立する生活リズムを確立しろってことですね。

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