『これが好き』を他人に奪わせてはいけない

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あなた方の時間は限られています。
だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。
ドグマにとらわれてはいけない。
それは他人の考えに従って生きることと同じです。
他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。
そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。
あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。
ほかのことは二の次で構わないのです。 

スティーブ・ジョブズ

以前、おいしいコーヒー原理主義が苦手、という記事を書きました。

僕はいろんなコーヒーのお店をまわったりする中で、マスターと話をさせてもらったりすることも時折あります。他にも、コーヒーの本を読んだりとか、...

今日はその続きです。相変わらずうまくまとまってません!

まとまってませんが、書きたいので書いていきます。

前回は「高品質なコーヒー」だけに価値を見いだすのは、コーヒーの世界、その間口を狭めてしまうんじゃないか、という話をしました。

これって「高品質なコーヒー」に限った話じゃないと思うんですよね。

コーヒーの世界で言えば、僕がコーヒーを飲み始めて、自分でコーヒーを淹れるようになったときも、本に書いてあるペーパードリップの淹れ方を必要以上に忠実に守ろうとしたりとか、3たて5たてを杓子定規で守ろうとしたりとか。

こだわりがあること自体はいいことです。いいことですが、こだわりを守ること自体を目的にしてしまうのが良くないことだと思います。

ある特定のプロセスにこだわること。

それは、コーヒーと、それがある時間を楽しむことに本当に必要なんだろうか?

これってコーヒーに限った話じゃないと思うんですよね。

冒頭に掲げた、スティーブ・ジョブズの言葉を見ながら考えたんですが。

ドグマにとらわれる。

主義というか、言葉というか、そういったものが、ある種の自立性をもって、自走する。そして、人の意思というか、自由を絡め取っていく。

僕は、多分、「主義」そのもののアンチじゃなくて、主義自体の目的が消えて、それそのものの重みで動き出して、人間の自由を絡め取っていくこと、そのことを感じることのアンチなんだろうな、と思います。

なるほど、だから僕は社会不適合者なんですね。

「会社組織」なんて、それそのものの重みで、人の自由を絡め取っていくことの、まさに代表的な存在ですから。

結局はバランスの問題だとは思うんですけどね。

多少はうまくまとまったかな?

それでは。