ただ「FIREしたい!」ってのは視野狭窄な気がする【FIREブーム】

最近、株高が続いているせいか、FIRE=Financial Independent Retire Early(経済的独立を実現して早期退職)ってのが流行ってます。

ぶっちゃけ僕も「FIREしたいか?」と聞かれたら「FIREしたい!」って答えると思います。即答です。

でも、ただFIREすれば自由になれるかというと、そうじゃないと考えているんですよね

うまく言葉にできないのですが、「FIREを決断する」ということは、不可逆的な変化を人生にもたらすわけで、その変化についてよく考えないと、後悔につながるんじゃないか?という不安があるんですよね。

別にFIREできないけど

FIREしたら元の職業生活に戻るのは困難

一度FIREしたら、もう2度と元の職業には戻れないわけです。

「仕事がしんどいからFIREするんだろ、お前は馬鹿か?」

と突っ込まれそうですが、僕が主張したいことはもう少し具体的にFIREした後の生活を考えたほうがいいんじゃないかってことです。

例えば、FIREした後に何かがあって(その何かは結婚でもいいし、病気や怪我でもいい)、当初の金額では生活を継続していくのが困難になったとしましょう(そんな甘い見積もりでFIREするなという意見はあるかと思いますが、結局のところカネなんていくらあっても足りないし、いくらでも欲しいものだからどこかで折り合いをつける必要が出てきます)。

海外ではいざ知らず、日本では職業生活を長く続けることに価値がある、というか、履歴書に仕事をしていない空白期間がある人物は、入社時の選考などで高くは評価されない社会です。

「この空白期間は何をしていたのですか?」→「セミリタイアしてました(キリッ」→「なぜ弊社に入社しようと考えたのですか」→「金が足りなくなったからです!(キリッ」→「(ああ……計画性のないやつだな)お祈り申し上げます」

こうなることは目に見えています。

病気や怪我でお金が足りなくなった場合を引き合いに出しましたが、働いてないと暇すぎるから就職したい、とか、社会との接点がなさすぎるのは孤独感を感じる、とか、仕事をしたくなるような理由は考えようと思えばいくらでも考えられると思うんですよね。

そりゃあ、働きたくないです。辞められるなら辞めたいです。

でも、将来のことはわかりません、一寸先は闇です。今は働きたくないけど無職になったら働きたくなるかもしれません。

働くことのメリットを感じるときも正直ある

毎週月曜日になると、朝、「仕事したくないなあ……FIREしたいなあ……」ってことを考えて、FIREした後の生活を妄想しながら、職場に向かって車を運転しています(ちゃんと前を見ろ)

でも、一方で働くことのメリットを感じるときもあるにはあるんですよ。

例えば世間体

やっぱり無職というのは体裁が悪いですからね!

いくら、お金があって働かなくてもいいとは言っても、無職というだけで、危険人物というか、不審者というか、そういう目で見られます。犯罪者予備軍、というわけですね。ぷるぷる、ぼくわるいスライムじゃないよ!

給料という定期収入ももちろん魅力です。

毎月分配型投信があんなにも色んな人から批判されまくっているにも関わらず、大人気なのはやっぱり、毎月定期的にお金がもらえるということに(別に毎月分配型投信の分配金は必ずしも、「もらえるお金」ではないけども)どうしても抗えない魅力を感じてしまう人がいっぱいいるからでしょう。

定期的に発生するキャッシュフローはやっぱり人を惹きつける魅力があるんですねえ……。

あとは、社会的な立場というか、なんというか、そういう曖昧なものがあると思うんですよ。

さっきお前、無職は世間体が悪いって言ったばっかりだろ、と言われそうですが、僕が言いたいのは、社会との関わりが薄くなる、なくなってしまうのは必ずしもいいことじゃないというか、そういう感じのことを言いたいんですよね。

僕みたいな引きこもり性の高い人間の場合、仕事を辞めてアーリーリタイアなんてやらかした日には、ほとんど人と会うこともなく(買い物とか以外では)、リアルガチの社会不適合者として、社会との接点が消え失せることは目に見えています。

一応働いていれば、同僚と世間話をしたり、なんだかんだで、自分以外の視点から社会を見つめ直したりとかそういうことができるチャンスというか、機会があるわけですからね。

そういう社会的なつながりが得るには結局、働くのが一番手っ取り早いというか。

それから、生活リズムですね。

よく睡眠不足で死にそうになりながら出社していますが!

アーリーリタイアなんてやった日には、もう生活リズムは無茶苦茶になることは目に見えています。出社しなくては、という義務感があるからこそ、ちゃんと朝起きられて、外に出ることができる部分もあります。

上でも書きましたが、引きこもり性の強い僕の場合、最小限の買い物以外で外に出ることすらなくなる可能性が高いです。

そういうことを考えると、働くって結構大事なことなんじゃないだろうか?と思うときもやっぱりあります。

働くこと=苦痛、やめたい、人生には不要っていうわけじゃないんですよね。

なぜ働くのが辛いのか?を考える

そもそもですが、なんで仕事を辞めたいのでしょう?

「仕事が辛いからだろ、当たり前のことをいうな!」

と先程のようにまた突っ込まれるような気がしますが、仕事が辛いから辞めたい、ではFIREしたい理由の答えとしては不十分だと思うんですよ。だって、それは、なぜ仕事が辛いのか、という質問に変わるだけだからです。

「なぜ仕事が辛いと感じるのか」

この質問の答えを探すのは、なかなかに難しいことだと思います。人それぞれどういう理由で、仕事が嫌なのかは変わって来るでしょうし、そもそも仕事が全然辛くない人もいるでしょう。俺はつらいけどな!

僕なりに考えてみると

  1. 仕事の大半が好きでも得意でもないことで占められている
  2. 時間的な拘束がとても長く、つらく感じる
  3. 他者の都合を押し付けられている状況が大半
  4. 人数的にギリギリだったりマネジメントが行き届いていなかったりして、待遇に見合わない過大な責任を背負わされている

ということなんじゃないかなと。

時間的な拘束が長いことと、その原因である待遇に見合わない責任を押し付けられていること、要するに他人の都合を押し付けられて、自分の都合が斟酌されないこと、そういうところが、仕事がつらい原因ではないか。

仕事そのものは嫌いじゃない、嫌いじゃないんだけど、こんだけ責任を負って(一従業員だから最終的な責任を負っているわけではないけど)、長い時間を拘束されるのが嫌なんじゃないかなって。

「FIREしたい」っていうのは、自分の人生をマイペースに生きたい、っていう願望だと思う。

結局のところ、仕事を辞めたいんじゃなくて、自分のペースで行きたいだけなんだよね。

逆にいうと、マイペースで働けるなら、別に仕事を辞めたいわけじゃないし、むしろやってもいいとすら思う。お金もらえるし。

働きまくるか、ほとんど働かないかの働かないかの二択しかないことが問題なんじゃないだろうか。

ほどほどの時間働いて、ほどほどの責任を背負って、ほどほどのお金をもらえるなら、無理して「FIRE」や「セミリタイア」をする必要はない。

普通に正社員として働くと、どれだけ働くのかを自分でコントロールできる機会や立場が与えられることが一切ない、ということなんですよね。

そこさえなんとかできるのであれば、むしろFIREなんてできなくていい(流石に言い過ぎかな)

FIREは目的ではなくて手段

要するに、FIREってのは、「働くのか、働かないのか、働くとしても、何をやるのか、どれくらいやるのか」という主導権を自分自身に取り戻すための手段でしかないというのが僕の考えです。

僕が昨今の「FIREブーム」に違和感を感じるのは、手段でしかないはずのFIREを、あたかも、目的化してしまっていることが散見するところにあるんですよね。

大事なのは、働かないことではなく、働き方を選べるようになること。

FIREしたいと感じる人たちにとって、労働そのものが人生の敵なんじゃなくて、労働を取り巻く慣習こそが真の敵なんじゃないか。

そんなことを考える毎日です。FIREしたい

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