「今回は、なにおれさん(https://life-lemon.com/)のKindle書籍「ミニマリスト式超人生戦略術 敏感な人が会社を辞めてラクに生きていく方法」の感想を書いていこうと思います」
暇つぶしにKindle Unlimitedで読める本を探していたら、ちょっと目につく本がありました。
それが、今回のテーマになる「ミニマリスト式超人生戦略術」です。
なにおれさんというミニマリストブロガーの人が書いた本です。
分類的には、いわゆるFIRE本(セミリタイア・アーリーリタイアを目指す)になるのかな?
内容も、この手のFIRE本にありがちな内容で、
最低生活費の把握→最低生活費の25倍の金融資産を貯める(いわゆる4%ルール)→自分の好きなことをして生きよう!
っていう、どのFIRE本にも書いてあるようなことがメインです。
じゃあこの本の一体どこをそんなに評価しているのか?というと、徹底していわゆるHSP的な人(この本の中では敏感な人と称している)がどうやったら、快適に生きられるのか?ということにフォーカスしているところです。
敏感な人がラクに生きるというテーマが根底にガッチリとあるおかげで、FIRE本にありがちなことを述べていても、「ありがちだなあ」となりにくいんですよね。
ありがちなことを「敏感な人がラクに生きる」というテーマに沿って並べることで、また違った見方ができるわけです。そこが、すごく印象に残りました。
一方で、「これは違うだろ」と思う部分もありました。
なので、本の内容を軽くまとめつつ、これは違うんじゃないか?という部分にもついても書いていこうと思います。
目的地(=理想の生活)をしっかりと思い定めて、それに必要ないものを確実に排除していく
上の方で、FIRE本にありがちな内容で
最低生活費を把握→最低生活費の25倍の金融資産→セミリタイア
という流れになっている、ということを書きました。
ところで、最低生活費とは「闇雲に節約しまくればオーケー!」という話ではないです。
「安心安全に暮らすには最低限どれだけお金が必要なのかを自分の中で明確にすること」
つまり、自分の理想の生活を具体的に言葉にして明確化すること。その理想の生活にいくらお金が必要になるのか?ということを考えること。その中で、お金に頼らずに自力で解決できることがどれくらいあるのか?ということを考えること。
このようなステップで、最低生活費を算出していくのがこの本の中で求められる流れです。
理想の生活を言語化するためのステップとして、
- 思いついたことをとにかく書き出す
- 思いついたことを分解する
- それぞれ分解したことに「〜〜したい」という言葉(欲求)を付け足す
3つが並べられています。
これを繰り返すことで、自分の理想を少しずつ言葉にしていきます。
理想の生活を実現するためにいくらぐらいのお金が必要か?ということを測るために、この本では生活費マトリックスという概念を提唱しています。
このような図を書いて、この中に、最初に書いた理想の生活の要素を分類していきます。
「他力」というのはお金を使わないとできないこと。
「自力」というのはお金を使わなくても自分で工夫してできること。
「小説を読みたい」というのがあるのだとしたら、それ自体は娯楽費×他力になります。しかし、これを「小説を書く」にすると、娯楽費×自力になって生活費が下がる、というようなイメージです。
なので、どんどん自力でできることに変えていこう!というのがこの本の主張です。
正直「個人的には」ともかくとして、万人に向けたアドバイスとしてなんでも自力でやろう!という主張には頷くことができませんでした。
僕は結構DIYとかが嫌いではないのでいいのですが、何かをある程度のレベルで作るって意外と簡単ではないんですよね。簡単に作っているように見えても、そこに至るまでの技術だったり練習だったりといったコストを考えると結局買った方が(お金を払った方が)安い。ということは多々あります。
「創作活動」はやり込み要素が無限にあるから、娯楽のためのお金が少なくて済むとも書いてます。
しかし、後で詳しく書きますが、先ほどと同じようにこの部分は完全に同意することはできませんでした。
というのも、「創作活動」って確かに瞬間的に見るとそんなにお金がかかってないように見えますが、ロングスパンで見ると、単にモノを買ってくるよりもお金がかかる気がするんですよね。
先ほど例に挙げた「小説を書く」ですが、まあ天才でなければ、たくさん「本を読む」必要があるでしょう。(本を読む、というのは小説以外も含む、ということです。)
アウトプットは大事ですが、何のインプットもないところにアウトプットは成立しないと思います。
インプットの量にふさわしいアウトプットはできていますか……?
ノーコメント(震え声)
確かにアウトプットの瞬間だけを見ると、あまりお金がかかってませんが、そこに至るまでに費やしたインプットの時間やお金を考えると、一概に「創作活動が安上がり」とは言えないと思います。
さっきの自力でやろうという話にもつながりますが、目には見えない試行錯誤や技術習得のためのコストを小さく見積り過ぎているように感じて、(僕個人としては嫌いな考え方ではないですが)諸手を挙げて賛同することはできません。
Twitterかどっかでイラストレーターさんが知り合いに「これぐらい簡単に描けるだろ!」とか言ってタダ働きさせられそうになったみたいなツイートを読んだことがあります。
技術習得のコスト(ないし完成させるまでに試行錯誤するコスト)ってなかなか理解してもらえないんだなあってそのツイートを読んで思いました……。
話を本題に戻します。
そうやって、実際に理想の生活を実現したらいくらぐらいかかりそうか?というのを数値化した上で、その生活費の25倍の費用を貯めよう!という話になります。
よくあるFIRE本だと、闇雲に「お金を使わないようにしよう!」ってなりがちです。
他のFIRE本の「節約」とか「ミニマルに生きよう!」っていうのは、一般論というか、具体的な節約テクニックのような戦術的な話が多いです。しかし、この本の「節約」は、読者それぞれの価値観に踏み込んでどこにリソースを注ぎ込むべきなのか?という戦略的な話だと、読んでいて感じました。
そこが他のFIRE本とこの本との違いのひとつだと思います。
この本を読んで得た気づき
「世の中に溢れたお金の稼ぎ方は必ずしも敏感な人にあったお金の稼ぎ方ではない」
「世の中に溢れたお金の稼ぎ方は必ずしも敏感な人に合ったお金の稼ぎ方ではない」
(中略)
「自分から営業をかけましょう」「とにかく多動力です」「稼いでいる人に会いにいきましょう」「稼ぐことが目的なのだから稼げることをやりましょう」「時間の全てを使いましょう」など。
こういった戦略は正しいのだと思います。
しかし、共感力が高い敏感な人がとるべき戦略ではありません。
ここで引き合いに出されている、「自分から営業を〜」とか「稼いでいる人に会いに〜」とか「時間の全てを〜」っていうのは、結構いろんなスモールビジネス系や副業系の本で言われていることです。
あまりにもいろんな本に出てくるので、これが無条件に正しいのだと思ってしまうところがありました。
そして、それができない自分はダメなやつだ……と無意識に自分を責めてしまって苦しくなるところも、正直なところあります。
この本では、「それは正しい」と認めながらも、「そもそも普通の社会生活が苦しい敏感な人には不可能だ」とどうしようもない現実を素直に認めて、「じゃあどうするか?」ということを述べています。
正直、社会不適合者な僕からすると、世に溢れる副業本とか独立本よりも、はるかに現実主義的な態度に映ります。
以前レビューした、『先が見えない時代の「10年後の自分」を考える技術』にも出てくる言葉に「できないことを計画するくらいなら、できることにフォーカスして計画すべきなのである」というものがあります。
正直なところ、俺は金儲けが下手すぎるのである
金儲けがうまい下手とかいう以前に単なる社会不適合者なのでは……?
細く長く頑張る
結構いろんな人が「俺は太く短く生きるのさ」みたいなことを言っています。というか、僕の周りの人は、そういう人が多いです。
なので、僕もそれが正しいと思っていました。というと、ちょっと誇張がありますが、なんにせよ、「充実してないといけない」というか、「濃厚な日々を過ごしてないといけない」みたいな強迫観念のようなものがありました。
敏感な人が商売でうまくいく流れは……
「余計なことをしない→好きなことで他者に貢献する→良し悪しの判断は他者に任せる→他者の信頼を裏切らない→淡々と繰り返す」
となります。
(中略)
共感力が高いことで人よりも疲弊しやすいので、「たくさん休みながら、細く長く続けること」が向いています。
ここを読んだとき、「ああ……」という納得感というか、「こうすればよかったのか」という発見というか、「まあそうだよな」という賛同というか、いろいろな感情がありました。
僕がこの本で言うところの「敏感な人」かというと、ちょっと怪しいと思いますし、「共感力が高い」かというと、そうでもないと思いますが、体力がなくてちょっとしたことですぐ疲れてしまうことだけは確かです。
気が利かないと周囲の人に言われまくり、精神的ダメージを受ける毎日です!
胸をはっていうことじゃないんだよなあ……
「頑張らないといけない!」と思いながらも、体力が全然ないのですぐに疲れてしまって、なかなかうまくできないということが何度もあって、その度に自分を責めてしまう部分があったなと思います。この本を読んだ後になって考えてみると。
頑張りすぎるとすぐに体力が枯渇してしまいます。なので、「ちょっと物足りないかな」というぐらいで休憩するようにします。その代わり、細く長く続けることを優先すること。
(中略)
1日5時間頑張って3ヶ月で燃え尽きてしまうより、1日2時間でも1年続くほうがいいです。
あと本の内容そのものにはあまり関係ないところで、思ったところとしては、やっぱり他人を見てしまうのがいけないのかなあと。
Twitterでフォローしている○○さんはこれだけ頑張って、こんな成果を上げている!とかを見てしまうと、自分の頑張りが大したことないものに思えてしまって、それがまた自分を無意識に責めてしまう原因になるのかなと。
なるべく他者を見ないようにしながら、少しずつ自分にできる範囲で頑張っていくのがベターなのかも
前々から考えていたことではありますが、結局のところ、他人の評価というのは自分にはどうしようもないことなので、自分にできることを着実にやっていくしかないんですよね。
「ちょっとこれは違うかなあ」と思うポイント
内容をざっくりとまとめ、よかったことを振り返ったところで、個人的に「これは違うかな」と思うところをつらつら書いていきます。
内容としては
- 「好きなことでお金を稼ぐ」はそれ自体不可能に近いほど難しいのでは?
- 創作活動はいうほどお金がかからないわけでもないし、ミニマリスト的ではないんじゃないか?
2点がメインになります。
「普通の人」に「好きなことでお金を稼ぐ」は無理があるんじゃないかなあ……
「ミニマリスト流超人生戦略術」の中では、いわゆる4%ルールに基づく基礎生活費の25年分の貯蓄というのは、あくまで「保険の手段」として扱われています。
じゃあ本命は何かというと、好きなことをすることで「最低生活費を稼ぐ」ことになります。
基礎生活費の25年分の金融資産を得るために、フルタイムでサラリーマンを続けるのは「妄想」に過ぎないとまで言っています。
実際問題、普通にやって基礎生活費の25年分の貯蓄、3000万円だの5000万円だのを貯めるのは、凄まじい年月をサラリーマン生活に捧げないといけません。
ただでさえしんどいのに、それを10年も20年も続けるのは無理だろ!ってことです。
それなら、必要最低限の生活費を自分の好きなことで稼いだほうが楽だろ!というのがこの本における方針です。
でも、でもですよ?
好きなことでお金を稼げる人って少ないと思うんですよね。
ブログを書くのがすきでもうこのブログだけで5年ぐらい、その前に運営していたブログとかを含めたらかるく10年以上ブログを書いていますが、ぜぇんぜんお金は稼げませんw
ガチのアフィリエイターとかブロガーからすると、ブログで金を稼ぎたいなら、あれがない、これがないとと言われるようなブログだ、というのは自覚してます。
この本でも書いてありますが、お金を稼げるというのは、誰かにお金を払ってもいいと思わせるぐらいの価値を提供したってことです。
僕はブログを書くのが好きですが、僕が書くブログは誰にも価値を提供してないってことです。
実際問題、僕だけじゃなくて大抵の人の好きなことって本人以外からしたら何の価値もないことばっかりなんじゃないですかね。
自分の好きなことと誰かからみた価値を両立することってのは、よほどの運なり試行回数なり才能なりがないと実現が難しいことです。
ゆーちゅーばーなりブロガーなりこの本の著者なり、「好きなことでお金を稼げている人」っていうのはこの壁の高さがわからないんじゃないでしょうか?
正直、好きなことでお金を稼ぐって無理ゲーって今までブログを書いてきてそう思います。それなら、苦痛極まりないですが、なんとか仕事をこなして給料をもらって、株とか買って配当生活(ないし金融資産取り崩し生活)を目指したほうが、再現性というか確実性はあると思います。
どうやって労働の苦痛に耐えるのか?という避けては通れない課題はどうしても残ってしまうのですが……。
創作活動って結構お金がかかるし、場所も取るから、ミニマリスト的ではない気がする
「戦略とはやらないことを決めること」というのは、以前読んでブログにレビューを投稿した本に出てくる言葉です。
この本においても、「敏感な人」は何気なく過ごしていも体力を消耗してしまうので、体力を奪うものはトコトン手放すこと、と書いてます。
ここがこの本の「ミニマリスト流」にかかる部分だと思うのですが、これって、上の方でも書いた通り、「自力」でできることを増やす、モノを買ってくるんじゃなく創作活動をしていく、という方針とは相反するんですよね。
何がしかの創作活動をしている人は何となく感覚的に理解してもらえると思うのですが、創作活動を長く続ければ続けるほどモノはかえって増えていくんですよね。
例えば、このブログだけで言っても、ボツ原稿が両手の指ではおさまらない程度にはあります。
ボツ原稿は消せばいいだろと言われればその通りなんですが、ある原稿が没になるパターンってひとつじゃなくて、「テーマとしては価値がある(少なくとも自分にとっては)けども現在の自分の知識量・技量では完成まで持っていけない」ってパターンだとボツ原稿を保存しておくことって意味があるんですよね。
ネタに詰まった時、その時の知識・技量でなら完成まで持っていけるって場合がありうるわけですから。
現に、このブログの記事のいくつかはしばらく熟成させた結果、完成したってものがあります。
ブログ以外でも、「創作活動」をしているとモノが増えるってパターンはあるあるだと思います。
DIYするたびになんか工具とかドライバービットとかドリルビットとかちょこっとずつ増えていっている気がする……!
1日でドリルビット3本折ったりしたせいじゃないんですかね(呆れ)
モデラーの人とか、組んでないキットとか、滅多に使わないけど入手性があまりない色の塗料とか工具とか、そういったモノが次々に増えていくのではないかと推察します。新しい手法を試したくなって、そのための道具が欲しくなって揃えたりとか。
今の所使う予定はないけど、組みたくなった時に揃えるんじゃ時間がかかりすぎるような資料とか。
例としてモデラーを挙げましたが、僕はこの分野に詳しくないです。
絵とか、動画制作とか、小説の執筆とか、電子工作とか、DIYとか料理とか……。
色々ないわゆる「創作活動」全般で、やっているとモノが増えがちです。
そんなわけで、「創作活動」と「ミニマリズム」ってなかなか食い合わせが悪い気がするんですよね。
結論:異論はあれど、「新しい発見」もあり、全体的には読んで良かった本
そんなわけで最終的な結論としては、見出しの通りです。
この本の中で、最も感銘を受けた部分は、頑張り過ぎないように、たくさん休みながら細く長く続けることです。
その部分を読んだことで、「自分の持っている時間の全てを注ぎ込まないといけないんだ!」とか「頑張らないと!」といった自縄自縛に陥っていたことに気づくことができました。
「細く長くでいいんだ」「一歩ずつできること積み上げていくしかないよな」とむしろ開き直ることができて、少し心が楽になった気がします。
「できないこと」ばかりですが、「できないこと」は「できないこと」として受け入れて、「できること」を一つずつこなしていくしかないなと思います。
この記事では「創作活動」と「ミニマリズム」の食い合わせが悪いと、批判じみたことを言いましたが、自分にとって理想の生活を考えたとき、「創作活動」はプライオリティがとても高い項目なのは間違いないです。
なので、この本いうところの「生活費マトリックス」の「他力」の項目を少しずつ「自力」の項目に移していくべく、「創作活動」や「DIY」にも力を入れていきたいと思います!
というわけで、これから頑張ってヘタクソDIYの記事をいっぱい書くぞー!
そんな何の意味も価値もないことばかり書いているから、誰にも読んでもらえないんじゃないですかねぇ……(呆れ)
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