「寝そべり族マニュアル なるべく働かないで生きていく」を読んだのでレビュー【寝そべりたい】

ブックレビュー

というわけで、今回は、ゆるふわ無職(https://yrfwmsk.com/)さんの「寝そべり族マニュアル なるべく働かないで生きていく」をKindle Unlimitedで読んだので、レビューをしていこうと思います!

こいついつもこんな本読んどるな……どんだけ働きたくないんや

ニートになりたい……(切なる願い)

ちなみにどんな本かを一言で言うと、「働くのがつらいなら、寝そべり族になればいいじゃん!」という本です。

どんな構成の本なのか?――内容のざっくりとした説明

もくじ

はじめに

第一章 中国の寝そべり族

第二章 僕の生い立ち

第三章 寝そべり族の生活

第四章 寝そべり族の思想

第五章 寝そべり族の哲学

おわりに

ゆるふわ無職著「寝そべり族マニュアル なるべく働かないで生きていく」より引用

ダイレクトに目次の内容を書いてしまった……。

流れとしては

本家本元たる中国の寝そべり族について紹介→著者の生い立ち(なぜ寝そべり族になったのか?)→寝そべり族たる著者が毎日をどんな風に過ごしているのかを紹介→著者の寝そべり族つまり無職ニート生活を支える思想を解説→著者が寝そべり族に通じる、影響を受けた哲学や思想(エピクロスの快楽主義、ニーチェの虚無主義、仏教、老荘思想)

という感じです。

中国の寝そべり族とは?

まず中国の寝そべり族について説明しています。

本の内容をそのまま引用するのもちょっとアレなのでWikipediaを引用します。

寝そべり族(ねそべりぞく)、寝そべり主義(ねそべりしゅぎ)、躺平主義(タンピンしゅぎ)とは、中華人民共和国において若者の一部が競争社会を忌避し、住宅購入などの高額消費、結婚・出産を諦めるライフスタイルであり、2021年4月にSNSで発表された「寝そべりは正義だ」という文章が転載されて呼称が広まった[1]。具体的には、”不買房、不買車、不談恋愛、不結婚、不生娃、低水平消費”(家を買わない、車を買わない、恋愛しない、結婚しない、子供を作らない、消費は低水準)、「最低限の生活を維持することで、資本家の金儲けマシーンとなって資本家に搾取される奴隷となることを拒否する」といったポリシーである

寝そべり族 – Wikipediaより引用

この章ではおおよそこんな感じのことを書いています。

作者の生い立ち

一人っ子は変わり者が多いという話は、正直「わかりみが深い」としか思えませんw

僕も一人っ子なので!

小中高大と親の敷いたレールを(消極的に)真面目に進んでいた著者ですが、大学四年生の時にうつ病になってしまいます。

親の子供への過干渉ってほんま……って感じですね。

面白いな、と思ったのは、反抗期についての話です。著者は反抗期らしい反抗期がなかったと言います。しかし、寝そべり族になってから思うことは、反抗期は自然で当たり前のイベントであり、反抗期がないのはマズい状態で最終的にニートという大反抗期を迎える、と書いています。

ヤンキーは若いうちに親を泣かすが、ニートは大人になってから親を泣かすのである。

ゆるふわ無職著「寝そべり族マニュアル なるべく働かないで生きていく」より引用

僕も反抗期はないタイプで、正直社会不適合者だなと思っているので、主張に対して大きく首肯せざるを得ないです。っていうと、なんか著者の方を社会不適合者の仲間みたいに扱っているように聞こえてアレなんですが……。

個人的に興味深かったのは、うつ病になってから、どう回復したかっていう話です。

重度の鬱には、ひたすら休むということしか対処法がないと思う。

(中略)

軽度の鬱に有効だったのは「運動」と「サウナ」と「読書」だった。

ゆるふわ無職著「寝そべり族マニュアル なるべく働かないで生きていく」より引用

重度のうつ病がすぐに回復するような特効薬的なメソッドはないよ、でも、軽度になったら散歩や筋トレ、読書、サウナが有効だよと書いています。

個人的に興味を特に惹かれたのは、サウナの有効性でした。

というのも、最近、銭湯でサウナに入るようになりつつあり(最近のサウナブームの影響を無意識に受けている可能性あり)、著者の体験談と自分のサウナに入った時の感覚がダブって見えて、すごく印象的でした。

体の芯はまだ火照っているが、それ以外の前身は冷却されているという不思議な状態が続く。急激にクールダウンしたせいか、心臓がドクドクしている。あれ、これちょっとやばいんじゃないか、と思いつつも心臓の動きに身体を委ねる。だんだんと身体がふわふわしていく。まるで肉体と精神が分離したかのような。

(中略)

これが「ととのった」なのか。

人生でこんな体験をしたのは初めてだった。その後、いつもの感覚は戻ってきたが、しばらく放心してしまった。

以上、なんだか怪しい薬物のレポートのようになってしまったが、僕のサウナ初体験はこんな感じだった。

ゆるふわ無職著「寝そべり族マニュアル なるべく働かないで生きていく」より引用

そうそうこれこれこんな感じ!

って思わず膝を叩きたくなるような感じでした。

「読書」についてですが、これも著者の書いていることにすごく同意する部分があったので紹介します。

今現在、21世紀の日本社会における生き方や価値観なんて、これまでの古今東西の膨大な歴史から比べたら、限られた時代の相対的なものに過ぎない、ということだ。結局、鬱病の原因はなんてことはない。親や社会に与えられた価値観を、自分で絶対的なものだと思い込み、自分で自分を苦しめていた、ただそれだけだったのである。

ゆるふわ無職著「寝そべり族マニュアル なるべく働かないで生きていく」より引用

なんていうか、その、なんというか。

こういうことを言うと、著者には失礼なのですが、「社会不適合者の考えるようなことは似通ってくるんだな」って思いました。

と言うのも、僕も仕事中に上司とかに叱責されたりして凹んだ時に「労働dis本」を読んで精神を回復させているからですw

「労働dis本」っていうと、なんかこういう本ばかり読んでるような感じになってしまうので、少し言い方を変えると、既存の社会通念に対して懐疑的な視点を提供してくれる本ですね。

そうすると、上司の叱責とも必ずしも正しいわけじゃない、ある特定の価値観、状況においてだけ正しいことでしかないから、そこまで自分の存在、人生を否定されたような気持ちにならなくていいんだ、と少し楽になるんですよね。

寝そべり族の生活

この章では寝そべり族と書いた著者の生活を説明しています。

昼過ぎに起きて、シャワー、昼食、散歩、ネット、夕食、読書、眠くなったら寝る。

うーん健康的

いや、朝日が出たら寝てるって本に書いてあるやんけ。全然健康的じゃないやろ

(∩゚д゚)アーアーきこえなーい

例えば、仕事がつらくて寝そべり族になった人がいたとしよう。

しかし、「本当は贅沢したいなあ」とか「僕の生活ってなんて惨めなんだろう」などと考えているのなら、それは間違った寝そべりだ。

何事にも言えることだと思うが、行動とは心の奥底から体現されるものでなければ、正しい行いではない。

嫌々やっているのなら、いずれ心身に歪みをきたすし、それでは労働生活とあまり変わらないだろう。心から真に寝そべることが、寝そべり族には必要なのである。

ゆるふわ無職著「寝そべり族マニュアル なるべく働かないで生きていく」より引用(太字は筆者による)

声に出して読みたい日本語「行動とは心の奥底から体現されるものでなければ、正しい行いではない。」

でも、贅沢はしたいし、浪費もしたいよ!

だったら、一生働け

働かないで贅沢したい!

こいつほんま……。

寝そべり族の思想

というわけで、著者による寝そべりの正当化が行われるのがこの「寝そべり族の思想」の章です。

言い方ァ!

ここで重要なこととして、著者は

  1. 大局的な視点でどう生きるかを考える
  2. 人生において最優先とするものを決める
  3. 自分にとっての絶対的な幸福を考えてみる
  4. 減速して欲望の落とし所を見つける

この4つを挙げています。

個人的に、「最優先とするものを決める」「欲望の落とし所を見つける」この二つは最重要だと思います。

結局、何度もこのブログで書いているように、人間できることは限りがあるので、何か一つをやり遂げようとすると、多くのものがこぼれ落ちてしまいます。(まあ世の中には何でも持っていて、何でもできる人もいるけども)

過去の貧しい時代では「怠惰=死」に直結していたはずだ。その名残から、我々には「自堕落はヤバい。有意義なことをするべし」という本能がインストールされているのだと思う。

現代においては、この焦燥感ともう少しスマートに付き合う必要があるのではないだろうか。本能を制御して、理性的に寝そべることが、僕たちには求められているのだ。

中国の寝そべり族の言葉にこんなものがある。「寝ていれば転ぶこともない。」

ゆるふわ無職著「寝そべり族マニュアル なるべく働かないで生きていく」より引用(太字は筆者による)

「寝ていれば転ぶこともない。」

これも声に出して読みたい日本語!

進化心理学という学問があるらしいです。僕は詳しくはないのですが、人間に心理——感情のあり方は進化の過程で培われているというような学問らしいです。

例えば、上司に叱られられたり、同僚から仲間はずれにされると精神的にやられるのは、群れの中で生きる上でそういう進化を遂げた——群れのボスに怒られても、群れの仲間から排斥されても平然としているような人は、群れの助力を得られずに死んでしまった(=上司に叱れられたり同僚から仲間はずれにされると強いストレスを感じる個体が生き残って子孫を残すことができた)から。

ものすごく単純化した例なので、進化心理学の説明としては妥当ではないかもですが。

ここでいう、「自堕落はヤバい。有意義なことをするべし」という本能がインストールされているのだ、という話はその進化心理学にもつながってくる話だと思いました。

「かつて進化の過程で必要とされたこと」と「今現在の日本社会で必要とされたこと」は必ずしもイコールではないので、そこをしっかりと考えて、自分の本能や感情をコントロールしていくべきだなと。

寝そべり族の哲学

この章では、著者が過去の偉人と寝そべり族のつながりを捏造して寝そべり族を正当化するコーナーです。

だから言い方ァ!

もちろん、大袈裟に言ってますよ!本気しないでね。

冗談のつもりなんだろうけど、それ面白いと思ってる?

正直あんまり……

ここでは、4つの思想を紹介しています。

  1. エピクロスの「快楽主義」
  2. ニーチェの「虚無主義」
  3. 「仏教」
  4. 「老荘思想」

この4つです。

ここでは、特に引用とかはしません。

しませんが、なんていうのかな。

あちこちに溢れている思想の解説ではあるんだけど、自分なりの軸に沿って解説することで、オリジナリティが出てくるというか、過去の思想や哲学を自分なりにカタチにして説明できるのはすごいな、と素直に思いました。

気づき・発見

この本を読んで、自分が気づいたことは大きく二つあります。

まず一つはこの本に主題にもなっている、「いざという時には寝そべり族になればいい」ということ。

僕個人としては、上でも書いたように「贅沢はしたいけど、働きたくはない」というワガママにも程がある状況なのですが、今の所、労働はものすごくしんどいですが、やりたいことの大半にお金が必要なので、当面は仕事を続けていこう!という感じです。

ただ、逃げ道があるということを意識するだけでだいぶ変わってくると思います。

もう一つは「ただ生活することの大切さ」ですね。

この本の中でも、「まず炊より始めよ」と書いてあったりする通り、しっかり自分の手で料理を作ったりして、しっかりと自律して生活を営んでいくことの大切さを痛感しました。

「持続可能な寝そべり目標」という標語を著者はこの本の中で提唱していますが、「食事」「運動」「遊び」といった心身の健康を維持していくこと、「持続可能な生活」を維持することはとても大切なことだと思いました。

往々にして、生活の中で睡眠時間を削ってしまったり、ストレスで暴飲暴食をしてしまったりと健康を蔑ろにしていまいがちです。

「寝そべる」かどうかは別として、「ただ生活をしていくこと」「しっかりと生活を営んでいくこと」大切なことであるはずなのに、社会人として働いていると、往々にして無視したり見えなくなってしまう。

この本を読むことで、そういう状態が自分の人生で続いているということに気づきました。

そのことを反省して、しっかりと生活を営んでいけたらいいなあと思います。

で、「まず炊より始め」られたんか?

…………(そっと目を逸らす)

ダメみたいですね……(呆れ)

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