「いいコーヒー至上主義」は本当にいいことなのか?

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僕はいろんなコーヒーのお店をまわったりする中で、マスターと話をさせてもらったりすることも時折あります。他にも、コーヒーの本を読んだりとか、Twitterや掲示板を読むことも、他の人よりも多いかと思います。

その中で最近気になっていることがあります。

「高品質なコーヒー(=新鮮なスペシャルティコーヒー)にこそ価値がある」「低品質なコーヒー(=コンビニコーヒーや、缶コーヒー、インスタントコーヒーなど)なんて飲む価値はない」

というように、高品質なコーヒーだけを称揚して、それ以外を下げるような傾向がある気がします。

僕個人の立場としては、前者に近いですし、自家焙煎店のマスターとかが前者の意見を言うのはしょうがない――というより気持ちはわかる、とは思います。

理屈で言えば、高品質なコーヒーを飲むのに越したことはないのは事実ですし、少しでも高品質なコーヒーを作るために努力しているから自家焙煎までしているわけなんだから、それはそういう風に思っても仕方ないと思います。

ただ、それを堂々と主張していくのはちょっと違うかな、と思うんです。

というのも、僕らみたいな、言ってみればコーヒーオタクでない普通の人たちにとって、コーヒーの味、スペシャルティコーヒーかどうか、焙煎したての新鮮なコーヒーかどうか、なんていうのは、そんなに判別できるものではないですし、興味のあることでもないわけです。

言ってみたら、普通の人にとっては、コーヒーの品質の違いなんていうのは、わかりづらいものです。その差額を出すに値するかどうか、判別がつきづらいものです。

そもそも論を言えば、僕らのようなコーヒーの品質にこだわるような人を除けば、一杯のコーヒーがもたらす豊かさというのは、たいして変わらないのではないかと思います。

ちょっと一息入れたいときに、あったかいコーヒーを飲むことができる。という喜びは、(よっぽど低品質でなければ)コーヒーの品質にはそれほど左右されないのではないでしょうか。

なので、そこに過剰にこだわるのは、むしろ、コーヒーの世界――その間口を狭めてしまうのではないか。

いいコーヒー原理主義は本当にいいことなのか?

なんとなくそんなことを最近思ってます。

自分でも何を主張したいのかよくわからない文章になってしまいました(笑)

自分の中でとても曖昧な状態で、文章を書いてもうまくまとめられないなー。もう少し、真剣に考えてみないと!