働きたくないけど、全く働かないのもそれはそれで不安という話

ライフスタイル

はい、皆さんこんにちは。

皆さんも連休楽しめました?

僕の方はまあ、そんなに楽しめてないというか、家で引きこもってただけというか、家ですら特に何もしてないという事実に直面し、正直ショックを受けています。

さて、休み明け、最初に会社へ行くの、精神的にちょっとしんどくないですか?

仕事を始めたらなんだかんだでできるというのは、なんとなく経験的にわかってはいても、なんだか身体が重い、気が重い、みんなそんな風だと信じています。(え?もしかして僕だけ?)

特に週明けから忙しくなるんだよな、みたいなときは尚更そうじゃないですか?

なので、月曜日とか祝日の翌日火曜日とかには、よく思っています。

会社辞めてぇなあって。

働かずにご飯が食えるようになりたい……!って。

そして、こうも思います。

もっと休日が充実していたら、満足して仕事に行けるんだろうか、と。

しかし、冷静に考えてみると、仮に休日が充実していたとしても、仕事に行こうとすればやっぱり憂鬱になると思います。

別にすぐにでも辞めたいほど仕事が嫌いなわけではないけど、働くのが楽しくて楽しくてしょうがないというほどでもないのです。

僕だけじゃなくて、大抵の人はそんな感じじゃないかなと思っています。ブラック企業というほど環境は悪くはないけど、ホワイト企業というほど環境がいいわけじゃない。

仕事はある程度こなせるけど、楽しいというわけでも、達成感があるわけでもない。

そうはいっても、働かないと生きていけないから、なんとか自分をごまかしながら、毎日会社へ行っている。

じゃあ、大胆な仮定をしてみましょう。

このブログが明日から毎月100万PVに達して働かなくても暮らしていけるような副業収入をもたらしたとします。無理そうだな……。まあなんでもいいです。とにかくそういう感じで適当に好きなことをやっているだけでお金を得られるとします。好きなことで生きていく(キリ

もしくは、年末ジャンボで10億当てたとしましょう。

それだけのお金があれば働かなくても暮らしていけますし、職場では適当にやってればいいでしょう。

さて、気持ち的に楽になるでしょうか。無理だろうなあって思います。

働こうとするから悪いんだ。

それだけの金があれば、そもそも働く必要なんてない。

じゃあ働かなければ幸せなんだろうか?

それはそれで違うかなと思うんですよね。

だって、ブログのPVなんてまたすぐに減って閑古鳥が泣くようになってしまうような不安定なものですし、宝くじで当てた10億円だって、政府の気が変わって資産税を取るようになったら大変なことになってしまいます。

宝くじで一発当ててそのお金で生活している人や、職業ブロガーやYoutuberには申し訳ないんですけどもね。

結局のところ、自分の人生を自分で制御できるような錯覚(誰かが別の誰かに寄りかかり続ける無限ループが社会というものです)が、幸せになるには大切ということなのかもしれません。

……とここまで書いたものを読み返してみると、矛盾していることに気づきます。

労働者であろうと、ブロガー(なども広義の労働者ですが)であろうと、あるいは資産家であろうと、寄りかかる先が変わるだけで、結局は自分の人生を自分で制御しているわけではありません。そうであったとしても、それはただの錯覚です。

であるならば、労働者であることに固執するのはなぜなんでしょうか?

考えてみると、周囲の影響と教育の影響があると思います。

周りにいるのは、労働者として日々の糧を得ている人ばかりです。学校というのは労働者育成機関と言われたりすることもあり、その中で過ごしてきたときは将来はサラリーマン的何かになって会社で働くんだという考えしかないわけです。

だから、「働かなくても生きていけるようになったとして」と仮定しても、「お金がたくさんあったとしても、なんか働いていないと不安だな」って思うようになってしまっているんだと思います。

このドグマを打ち破らない限り、宝くじが当たろうが、何かしらで一発当てようが、仕事をやめて幸せに暮らそう!なんてのは無理そうだなあ。

もちろん、現実の僕は「宝くじで何億というお金を得た」わけでもないし「ブログなりYoutubeなりで大金を得ている」わけでもないですし、冴えない下っ端労働者として、社会人の底辺として労働に勤しんでいるわけなので、妄想でしかないという悲しい事実があるのですが。

何事もやってみないとわからない——宝くじでいざ10億当てたらこんなことを考えていたということすらすっかり忘れ去って、毎日毎日飽きることなく遊び歩いているのかもしれませんが。

でも、月曜日が来るたびに、こんなことを考えてしまうんだろうな。

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